お風呂の準備ができたというので、一式のお風呂セット持って、なぜか僕は庭にいる。霧でも出てきたのか、見通しが悪い。
「三好さん、こっちですよぉ〜」
女将さんの声の方向に向かっていく。どうやら庭の中ほどらしい。
彼女の近くに来てやっとわかった。これは霧なんかじゃなくて。
「ろてん、ぶろ・・・?」
そう、それは湯気だったのだ。
「天然じゃないんですけどねぇ。庭のスペースがもったいないので作っちゃいました〜」
「すごいですね。気持ちよさそうです。」
「これを入れるともっと気持ちよくなりますよぉ〜」
そういって女将さんが手渡してくれたのは、「温泉の元」だった。
「草津に別府に登別に箱根。どれにしますか?」
久しぶりに入った、手足を伸ばせるお風呂。しかも、銭湯のそれとは違い貸切である。
外の気温は氷点下。お湯は人肌よりも温かい。のぼせそうになったら涼み、また温泉に浸かる。とっても贅沢だ。
「しあわせだぁ〜」
思わず声までとろけてしまう。
そこへ・・・。
「三好さ〜ん、お背中流しますよ〜」
魅力的な裸体をバスタオル一枚に包んだ女将さんが、タオルを持ってはいてきた。
「!???#$☆」
声も出せない僕。
「さぁ、ここに座ってください」
真っ赤になりながら、言われるがままに座る僕。
「痛かったら言ってくださいね〜。うんしょ、うんしょ」
何だろう、このシチュエーションは。僕だって男だぞ?こんな無防備でいいのか?わざとか?
結局混乱したままお風呂上がることになってしまった。
女将さんの考えていることがぜんぜんわからない・・・。
部屋へ戻ると、すでに布団が用意されていた。
お日様の匂いのする毛布に包まれながら、目を閉じた。
・・・。眠れない。女将さんの顔が頭から離れない。これは重症だ。
悶々とした気持ちを抱えながらすごしていると、声とともにふすまが開いた。
「失礼します」
女将さんだ。
「あの、三好さん・・・。私・・・」
朝。身を切るような寒さの中眼を覚ました。上半身を起こして辺りを見回すが、誰もいない。女将さんはどうしたのだろう。朝飯でも作ってるのか
な?
とりあえず部屋を出る。
「っ!?何だ、これ!!」
廊下に出て愕然とした。床は抜け、木は腐り、ふすまは破け、天井は穴が開いていて、空き家然としていた。
「なんで・・・!昨日までは・・・。」
混乱している。だって、昨日・・・。いや、数時間前まで僕はちゃんとした家に、民宿にいたはずなのに!
僕は女将さんを探して、民宿内を歩く。
「女将さーん!!」
何があったのだろう。
台所も、玄関も、庭も、他の部屋も、どこを探してもいない。
もしかして、騙されたっ!?
部屋に急ぎ戻り、財布や携帯などの貴重品を確認する。
しかし、なくなっているものは何ひとつ無く、その事実が余計に僕を混乱させた。騙されたわけでもない。なのに朝起きたらまったく別のところにい
る・・・。
いや、間取りなんかは昨日のままだ。庭には温泉があったらしき穴が開いている。
何がなんだかわからないまま、僕はとりあえず外に出た。玄関の敷居をくぐる。
と、そのとき。女将さんの声が聞こえたような気がした。
慌てて振り返る。でも、やっぱりそこには廃棄が広がるだけだった・・・。
狐につままれたような気分で、一夜を明かした民宿を見上げる。
確かに民宿豆狸と書かれていた。どれくらいそうしていただろう。
誰かの声でわれに返った。
振り向くと、一人の老人。
「こんだらとこで、な〜にさしてんだ、おめぇさんは〜」
「いや、あの・・・」
言葉に詰まる。なんと言っていいかまったく解らなかった。まだ混乱していたのだろう。信じてもらえないばかげた話を、僕はこの初対面の老人に全て話して
いたのだ。
最初は信じていなかった老人も、僕が女将さんの特徴を事細かに説明すると、驚いた表情を浮かべた
「ここの女将さんはもう、五年も前になくなってるだよ。早くに旦那さなくして、娘が東京の学校さいぐってんで(行くってんで)いなくなってすぐだよ。交通
事故さ〜。まだわががったなぁ(若かった)。」
なくなってる?交通事故で・・・?でも、僕は確かに女将さんと・・・。
「でも、僕は昨日女将さんに会って、観光にもつれてってもらって、それでっ!」
「まぁ、興奮しなさんな。この土地じゃぁ、そういう不思議なことってなぁ良くあることよ。なんてったって・・・」
「豆狸の伝説ですか?」
「よぉ知ってんでねえか。じゃあ、その先も知ってんべ?」
「いたずらされた人には、幸せが訪れる?」
「そんだよ。それに、あの女将さんも苦労の絶えない人だったからねぇ。少しは報われたんじゃないか?あんたに出会えてさ。」
「そう、なんですかね・・・。」
「まぁ、きっといい事あるさ、んじゃあな、若いの。あんましけた面スンナよ。」
老人は、女将さんのお墓の場所だけ告げるとさっさと行ってしまった。
僕は、早速教えられた墓に行ってみることにした。
玄関をくぐるとき、彼女がなんと言ったのか、それが知りたかった。
ひとつの墓の前にひざを付き、花を添えて手を合わせる。
『児玉 美沙(こだま みさ)』
お墓にはそう記されていた。女将さんの名前らしい。
なぜ僕の前に現れたのか。
何であんなに親切にしてくれたのか。
聞きたいことはたくさんあった。しかし、それを聞くことはできない。せめて、彼女が最後に何を僕に伝えたかったのか、それだけが知りたかった。
「美沙さん、僕になにを言いたかったんですか?」
返事は無い。奇跡は、もう起こらない。
僕は立ち上がると、お墓に背を向け歩き出した。
『娘を・・・。』
慌てて振り返る。
『娘をよろしくお願いします・・。』
そこには、ただ彼女が眠るお墓があるだけだった。
あれから半年。あくせくためた金と親からの資金援助で一人暮らしをはじめていた。毎日仕事、仕事で、素敵な出会いも無くいまだに休日にはふらりとどこか
に出かける日々をすごしている。
あの豆狸商店街での一日は今も忘れられない。勿論女将さん・・・。児玉美沙さんのこともまだ引きずっている。それに、豆狸伝説で、いたずらされた人は幸
せになる、と言うのがあったが、そんなものは全然無い。
もしかしたら、あの美沙さんとの一夜こそが豆狸のいたずらであり、僕にくれるべき幸せだったのかも知れない。
「はぁ〜・・・。」
仕事帰り。思わずため息がもれる。
家の前に車が止まっている。どこかの部屋に荷物を運び込んでいるみたいだ。引越しかな?確か、僕の部屋の隣が空き部屋だったけど・・・。
自分の部屋の向かう階段を上る。
「有り難うございましたぁ〜」
ちょうど引越しは終わったみたいだ。休日だったら手伝えたんだけど・・・。
「お隣の人に挨拶に行かなくては行けないですねぇ〜」
すれ違いざまに引越し業者が帰っていく。
「私の作った肉じゃが、食べてくれますかね?〜」
なんか聞き覚えのある間延びした声。玄関の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
「あ、もしかして、お隣さんですかぁ?」
声のしたほうを向く。
「あ、あの私、今日隣に引っ越してきた、児玉美佳(こだまみか)と申します!!」
間違えようが無い、その容姿。瓜二つだ。
「・・・?すいません、どこかで会いませんでしたか?」
そのとき、美沙さんの最後の言葉を思い出した。
『娘をよろしくおねがいします・・・。』
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